四万十市地域おこし協力隊四万十市地域おこし協力隊

2017年8月1日
半家の伝統行事#1 『七日ビシャ』

西土佐の小森です。

西土佐の中でも特に行事が多いと言われてる半家で暮らして約2年、東京生まれ東京育ちでお盆やお彼岸、法事くらいしか関わったことがない私には珍しい行事がたくさん。行事の名前を聞いてもイメージが全くわかないものもあり・・・。

今後、このブログで半家の伝統行事についてご紹介していこうと思います。

 

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第1回目は、『七日ビシャ』(なのかびしゃ)です。

◎行事の日:旧暦1月7日

神様の田んぼで矢を放つ

1年の最初に行われる行事で、神様の田んぼに立てた的に弓矢を放ち、その年の豊作を占います。

調べてみると、関東地方でも「おびしゃ」という弓神事で、年頭に行われているところがあるようです。

みなさんご存知であろう流鏑馬(やぶさめ)は馬に乗って矢を放ちますが、この「おびしゃ」は地に足をつけてじっと立ち、的に向かって矢を放ちます。

すごいなぁと思ったのが、この弓も的も全て手作りなことろ。

作るものがとってもたくさんあるので、一年の行事の中で、この行事の当番さんが最も大変と言われています。(行事での準備などは部落の中で当番制)

 

他にも矢や的など。毎年新しいものを作るそうです。

準備が整ったところで、田んぼを通り、みんなでぞろぞろと四万十川の川原へおりていきます。

 

「何しに行くの?」と私。

おんちゃん、ニヤニヤしながら、

「川でお清めよ~。」

「えっ!?」

今(この行事のとき)は冬です。ということは、川の水は冷たい!ということ!

・・・・・・・

途中、気付くと、みんな手に葉のついた枝を持っています。その辺の枝をもいでいたようです。

私も渡された枝を持って、滝修行みたいなものを想像しドキドキしながら冷たい川原へ。

 

さて、川原では、みなさんしゃがんで、先ほどの枝葉で川の水を自分に数回かけています。

こうしてお清めをするようです。良かった、冷たい川にドボンと入るわけではなかった!

この枝葉も本来は榊を使うようですが、榊に見立てた木の枝葉を代用していました。

 

お清めが終わったら、神様の田んぼへ移動。

神様の田んぼといえば、毎年田んぼの泥でお顔をつくる「ツグロ様」がこちらです↓↓↓

 

さぁ、弓矢を放ちます。

弓矢を放つのは、半家部落の中で神主さんといわれている方。半家部落には神主さんが3名いて、その家の代が絶えるまで他の家の方には代わらないそうです。(※神主さんについてはまたいずれ説明します。)

今年は半家区長でもある「みっちゃん」が放ちました。

けっこう的に当たりました。

今年はどうやら豊作のようです!

 

次は半家天満宮の鳥居下から、半家沈下橋のある四万十川へ向かって矢を放ちます。

秋の大祭で牛鬼や御神輿が練り歩く、あの場所です。

神主の「みっちゃん」が1本放ったら、あとは誰が放っても良いとのことで、私も挑戦。

お!上手に飛ぶと「ブンッ」という音が響いて気持ちが良い!

数名で全ての矢を放ち、無事に終了です。

 

さて、行事では準備に男性だけではなく女性も関わっています。

行事のあとはたいてい飲み会があって、その際のお料理や、神様にお供えするものを準備します。

実は、「七日ビシャ」のあと、引き続き「村祈祷(むらきとう)」という行事にうつります。

このとき炒った大豆もお供えするのですが、この大豆にも言い伝えがありました。

今は無くなっているそうですが、昔、神様の田んぼの上のほうに七人のお墓がありました。そのお墓は、部落の者同士が殺し合いのケンカをしたときのものだそうです。亡くなるくらいのケンカですから、相当だったのでしょう。そこで、部落の人たちが、炒った大豆を出して、「この豆に芽が出る(花が咲く)まではケンカをしないぞ。」と約束をしました。炒った大豆を植えても芽は出ません。ですので、この大豆を炒るときは「こがせ。こがせ。」と言いながら炒っていたそうです。

これからも大豆は焦げるくらい炒らないとなりませんね。

半家は平和の最先端!世界もこうなってほしいです。

 

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後日、「七日ビシャ」執り行いの流れが書かれた書面が出てきました。

昔はここに書いてあることを唱えながら行事を執り行ったそうですが、今は省いているようです。

なんて書いてあるのでしょう?

うーん、昔の仮名もあって全部は読めません。半家の区長さんから、これをパソコンか何かで文字おこししてくれないか~?という要望もあり、昔の仮名文字を調べながら解読中です。

この古い書面、半家部落の神主でもある「かずおんちゃん」のおじいさんが書いたものだそうで、最後には「昭和の始めごろと思う」と書いてあり、その曖昧さが代々引き継がれたものだと物語っています。

同じ場所

同じ季節

同じ行事

執り行う人が代々かわって、つなぐ。

昔はどんな人たちがどんな風に唱えながら行ったのだろうなぁ。