四万十市地域おこし協力隊四万十市地域おこし協力隊

2018年6月8日
草編み会 発足!!

富山地区担当の原田です。

 

富山は四万十川の支流に沿って集落が点在する、まさに「やまあい」の地域

 

道路のない頃は学校に行くにも山を歩いて越えて登校していたとのこと

 

なので、かつての山暮らしは

 

「生活に必要なものは身の回りのものを使って自分で作る!」

 

というものだったことは想像に難くありません。

 

物が増え、経済が進み、徐々に既製品が暮らしの中で幅をきかせてくるに従い、物を作る技術やその物自体が忘れ去られていきました。

 

多数の世代の人に昔の話を聞くと

 

「わしらが子供の頃は、草履を作らにゃ学校に通えんかった」

 

「子供の頃は、親が夜な夜な作っていた記憶があるけど、わしゃ作ったこたぁない」

 

「あ~親はそんな話をしてたけど、私は見たことないね」

 

「郷土資料館に行けばあるかもねや」

 

といった調子で、経験談から傍観、さらに伝聞から文献と暮らしにある風景は歴史上の資料へと移ろいで行くことがわかります。

 

それが時代の流れ、悪いとは言いませんが、少し寂しく勿体ないことだなとは感じるのです。

 

 

実際に手仕事を習ってみると、工作機械と同じ原理を手で行っているという感動と、それを編み出したであろう先人たちの知恵に触れることができ、何とも言えない気持ちになります。

 

あと、物を作る道具も手作りで、そこには何十年も大切に使われてきた味わいがにじみ出ているのです。

 

限られた材料で作るからでしょうか、形に無駄がなくシンプルだけど機能的という美しさも感じられます。

 

 

話は逸れますが、

 

日本には「付喪神(つくもがみ)」という言葉があります。

 

長い年月使ってきた道具に宿る精霊や神様のこと

 

大切に扱えば良いものが、邪な気持ちで扱えばわるいものが、時にその道具が変化して人を惑わす・・・という言い伝えです。

 

現代の世の中で「付喪神」になっているような道具で暮らしているという人は希少かと思いますが、自分で道具を作っていた時代はもっと身近なものだったかもしれませんね。

 

そう思うと、少しわくわくしませんか?

 

 

前置きが長くなりましたが、

 

藁細工を楽しむ「くさあみ会」が発足しました。

 

始まりは、2つの方面からの依頼。

 

1つは、毎日元気に畑に繰り出すばぁから

 

「涼ちゃんよ、ちょいとお願いがあるんじゃが、ええかね。」

 

「できることなら。なあに?」(お、なんだなんだ珍しいな)

 

「稲木で米を作っとったろう?藁はまだあるかね。ちいと分けてくれんかの」

 

「いいけど、なにするの?」

 

「あるか!ええか!いやぁ、ちと日除けを作りたくて。おまえさんの藁きれいに干してあるの見てたからな」

 

「え、あの鎧みたいなやつ?私も作りたい!藁あげるから作り方教えてよ。」(干してるのチェックされてるw)

 

ということで田植えまでに日除け編みの会を約束して2~3ヵ月が経過

 

 

ちなみに稲木とは収穫した稲を逆さに干して、乾燥させること。

こんな感じ

 

コンバインだと収穫と同時に脱穀をし稲藁は粉砕して田圃へまくため、藁を残すにはひと手間かけなくてはなりません。

 

さらに脱穀した米は籾(もみ)の状態で、その日のうちに乾燥機にいれ夜通し機械で乾かします。

 

稲木米は機械乾燥でない分、米が割れにくく、ゆっくり稲全体の養分が米に詰まるとか詰まらないとかw

 

でも天候によって乾燥しきらず上手くいかない場合もあり、機械・稲木それぞれに一長一短の面があります。

 

 

ばあとの約束は忘れず、でも焦りもせず過ごしていると、今度は少しお町な集落大用(おおゆう)の住民から・・・

 

「ねぇねぇ、涼ちゃん、奥のおばぁちゃんから畚(フゴ)編み習えないかな」

 

「習えると思いますよ~相談しておきますね~。ところで日除け編み興味ありません?」

 

「ある!」

 

「畚編み教えてくれそうなばあとは別の人なんだけど、習うとき声かけますね」

 

 

という感じで、材料の欲しい編める人と編み方を習いたい若い世代の両方向から依頼が交差し「くさあみ会」が自然と立ち上がりました。

 

 

まずは畚編み

 

畚(フゴ)は畑で芋やカボチャなど、重いものを収穫して運ぶのに使うかごです。

これを2つ棒で担いで段々畑から作物を持ち帰っていたそうです。

 

これが藁を編むための道具、コマセ

 

しっかり編めるように紐をおもりに巻き付けて、編み進めます。

 

このおもりは「ツチノコ」

 

聞くところによると、海辺では木ではなく石をつかって同じ構造の編み道具があったそうです。

 

富山では、重みのあるカシの木がツチノコに好まれていたようですが、「しゃりカシにも及ばん(別にカシでなくでもかまわない)」とじいが横から助言するように、素材ではなく役目を果たす物ならなんでも良いとのこと。

 

藁の折り返し部分が畚の淵となり、口が広がるように折り曲げ具合を調整します。

 

ひとあみするたびに徐々に伸びていくのが楽しくて夢中で進みます。

 

手編みマフラーの面白さのよう。

 

ほどほどに編んだら筒状にして、底を閉じて完成!

 

畚編みの先生はしきりに「わしらの子供らはちっとも関心をもたんに、あんたらは変わっとるね」と嬉しそうに教えてくれます。

 

くさあみ会としてまた習いたいという話をすると、顔をほころばせて賛成してくれました。

 

「でもよ、道具はどうするぜ?あと藁も長いもんでないと。かおり米かもち米くらいなきゃ大きいもんは編めんぜ?」

(おおう、その辺のこともこれから教えておくんなせ。)

 

 

続いて日除け編み

 

日除けは平坦なので、畚より簡単!

 

・・・コマセが4台あります。

 

そう、生徒が1人増えました。

 

生徒の共通点は移住してきた女性陣

 

先生のばぁと手を動かしながらのんびりお話をし交流の時間にもなりました。

 

畚編みの先生のときにも話題になりましたが、地元の若い世代はあまり興味を持たないそうで、少し寂しそうです。

 

お互いを理解するには一緒に仕事をするのが一番とはよく言いますが、移住者と地元、お互い探り探りの距離感のときにこういう会で距離を縮められたらいいなぁとぼんやり思うのでした。

 

ぺちゃくちゃおしゃべりをしているうちに形になってきました!

 

ジャン!

 

今年の田植えは背中が涼しかったです。

 

 

 

後日、

 

ばぁに会いに行くと、前から使っていたホロホロの日除けを使っているではないか!

 

どうしたことかと思ったら、日除けを作りたかったのは、向かいに住む仲良しのばぁがアルミの日除けを使っていて、藁の日除けをプレゼントしたかったのだとか。

 

序盤のばあからのお願いのやりとり、ご近所さんへのプレゼントを思って持ち掛けてきていた、と知って読み返すとなんともやわらかい気持ちになりませんか。

 

人と関わりながら暮らしていると色んな物語に遭遇します。

 

田舎は特にその色が柔らかく濃いように思うのでした。

 

それは既製品を買って済ます生活では味わえないもののようにも感じます。

 

 

さて、くさあみ会、ばあにも指摘されたとおり、編むには1人1台道具が必要なのです。

 

今回は集落で持っている人から拝借して行いましたが、せっかくなら自分のを持ちたい!作りたい!ということで、次回はコマセ・ツチノコ作りから!

 

ますます人の輪が広がりそうな予感です。

 

お楽しみに。

 

 

なんか既視感のあるブログだなと思ったら、初めて書いた投稿と似てました。

「竹籠づくり」

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