西土佐情報発信担当の小森です。
さてさて、お待たせいたしました。
前回の続き、炭焼きシリーズの第2話です。第1話を読んでいない方、もう一度読みたい方はこちらをどうぞ。
6月14日(火)
(小森)前日から煙の様子をうかがっていた園木隊員より、こんなメッセージが届いた。
「最高の状態まで待ちます」の一言に園木隊員の気合いを感じて私のテンションはMAX!!!炭小屋へと向かった。
(園木)マッチを煙突のフチにつけて5秒で火がつくことと、棒(煙突)のフチが白くなる。そうなったら良い炭が出来るという昔の判断基準を何人かに聞いていたので、今日はその状態にもっていきたい(夜にはつらいけど朝だったので)ので、ねばりました。
と、思ったけど、12:00になってもそのようにはならず。。。先生を呼びました。
先生はすぐに来てくれて、
「この窯はこんまいけん、そのようにはならない。」とのこと。
焚き口を閉じることにしました。
そのあと、いつもは煙突から煙がうっすら出るので、それが消えるのを待ちますが、今回はねばったため煙は出ないので煙突のところも閉める。
6月17日(金)
炭出し
(園木)さぁ、これが一番楽しみ。フタを開ける。
(小森)少しずつレンガを外す。窯の中が見えてくた。いっきに見えない分、ワクワクドキドキが倍増する。
あれ?あんなに入口までぎっしり詰まっていたのに、だいぶ減ってしまったように感じる。こんなに小さくなるんだ。
(園木)この運搬車で運びます。
(小森)この原始的で働きものの運搬車はどうやら「ト○タ車」と呼んでいるらしい。西土佐で暮らしていると、軽トラが「ベ○ツ」と呼ばれていたりとか、お茶目な一面にちょこちょこ出逢えて「ふふふ」ってなる。
(園木)根もえは少しあったけど、なかなか良い出来で満足です。
(小森)写真では分かりづらいかもしれないけど、断面がキラキラ光ってまるで貝のようだった!
(園木)先生を呼ぶ。
炭を見てもらうと笑顔でうなづいてくれました。
前回は根もえが多く、帰り際に根もえの部分をトントンと叩き去っていったので、今回は合格かな。
(小森)園木隊員本人を目の前にして先生にこんな質問を投げかけてしまった。
「華ちゃんは見込みありますか?」
「あるね。どんどん自分でやっていくから覚えが早い。もう自分で出来るね。」(←先生)
(園木)見込みがあると言われ嬉しい半面、「卒業なのか・・・」と思うと少し寂しい気持ちになりました。
煙の状態も何度も見てくれて、朝も早く見に来てくれて、コツや注意点を教えてくれました。
先生の話し方、教え方が上手だから楽しく取り組めました。
でも、また困ったときは頼りにしています。
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(園木)炭小屋にいる間、何人か立ち寄って、「やりよるかよ。」「良い炭できたか?」と、ゆず畑へ手入れに行くおばあちゃんや山仕事に行く山師さんと炭の話やお天気の話をしたり。炭の出来具合は「じょうとうに出来てる。」「えっころあるなー。」と言ってくれました。
(小森)全員の写真は撮れなかったけど、ご近所の方々が見に来てくださった。
みなさんが園木隊員を気にかけてくださっていること、同じ協力隊としてとっても嬉しかった。
(小森)初めて焼いた炭(といっても私は最初から最後までずっと携わってはいないですが)、けっこうたくさん出来ました。出来栄えは私にはよく分からないけど、みなさん「じょうとう、じょうとう」って言ってたし、なかなか良くできたと思う!
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(園木)この炭は近所の方には袋で、イベントでは水の浄化や消臭用としても使えるように、このように梱包して販売しました。
これからも『えっころ』という名前のハンコをつけて道の駅などで販売する予定です。
『えっころ』とは、旧奥屋内小学校を活用し、これから地域の女性4名で始める食堂や食品加工を行う団体名です。
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(園木)炭焼きは3年前の着任時に、黒尊川流域は昔は「全部 白炭だった」というご年配の人のお話を聞き、四万十川流域独自で土佐在来式白炭の復活をしようと頑張っていましたが、時は既に遅く、断念し、黒炭を焼くことにしました。
やり始めると、黒炭の技術も今教わっておかなければ伝承されていかないことに気付き、そして、すごく楽しく、断面が菊模様にきれいに焼けたり、割ったらキラッと貝殻のように光った良い炭ができるとなんとも嬉しい。
森のためにも利用していき、健康にも美味しさにも良い炭をこれからも焼いていきながら、失敗もしながら、良い炭を作りたいと思います。
樫を快く使わせてくれた山主の方、最初一緒に手伝ってくれて私が教えてもらえるように誘導してくれたSちゃん、Nさん、そして、声を掛けて応援してくれた地域の人々、K先生、ありがとうございました。
これからもご迷惑をお掛けすると思いますが、よろしくお願いします。