富山地区担当の原田です。
私の担当地区は「富山」と書いて「とみやま」と読みます。
かつては「富山村」として、その名の通り、山を資源にして富んでいたのです。
山を資源に何を売るのか?
木材・炭・キノコ・カズラ細工・竹細工・・・
と様々なのですが、富山村は特に炭を主産業にしていました。
この地域で強い植生(自然と生えて来る主な植物)のカシやシイは身が詰まって炭焼きに適しているそうです。
山の中に炭窯を作り、
切り出した木を山の中で炭にして、
炭俵と言われる藁を編んだもので包み、
「きんまみち」と呼ばれるけもの道より少し幅広の緩やかな道を通って集落に下ろす。
村の中心地「大用(おおゆう)」からは筏に乗せて川を下り、
中村の”おまち”へ当時は燃料として必需品だった炭を販売していたそうです。
炭俵ってこんな感じ
トイレの消臭用に作られたミニチュア版が大用のガソリンスタンドで見られます。
今でも炭焼きをしている人はいますが、その大半が自家消費用。
七輪は今でも生活の中で当たり前に使われており、火鉢、囲炉裏を使っているお宅もあります。
しかし、富山の炭焼き文化も例に漏れず田舎の形容詞「高齢化、後継者不足」がついてくる現状。
ポジティブに言い換えれば、今なら炭焼きが分かる人がいるのです。
炭窯が残っているうちに、炭窯の修繕の仕方がわかるうちに、炭焼きを教えられる人がいるうちに!!!
せっかくだから習おう!!
ということで、炭焼き修行はじめました。
ステップ1
~原木調達~
私が林業家を目指していることは周知の事実になりつつあり、「自分で切ってみんよ~」と言ってもらえたので、いざ伐採!
気前良くカシヤマを提供してくれたことにも少し感動
道沿いの出しやすい立地だけど、足元がなんとまあ急なこと!!
滑れば5m下に真っ逆さま!
軽トラに3杯分の原木をゲット!
太いものは割らないと上手く焼けない・・・かと言って、割らずに済む細さの木だけでも上手く焼けないそうで。
楔(クサビ)と金槌を使って原木割り♪
シイは面白いほど素直にパカーンと割れるのに、カシは叩けば楔がはねて飛び出てくるくらい割りにくい!!
さていよいよ、炭窯に原木をくべる段階!
の前に、師匠が焼いたまま出さずにいた炭を取り出すことから~。
ステップ2
~炭窯掃除~
開けると窯が痛むので、6年前に焼いた炭がそのまま入っていました。
テミも年季の入った竹製です。渋い!カッコいい!
今回の炭焼きの師匠達、のどかな作業風景。素敵だなぁ~
さて、今度こそ木をくべて炭を焼くぞ!!!
と思ったら、師匠との予定が合わなくなり、延期に。。。
3月中旬に伸びてしまいました。
四万十ではやろうとすることがスムーズに進むことは滅多にありません。
天候がいかん、風が強い、やれ身体が痛い、祭がある、息子らが帰省する。。。
かと思ったら、
「今日これやるぞ!」
「え~今日?!んな急な~、でも行く~」
なんてことも
東京にいたころは思い立ったらすぐ動けるくらい手段が充実していたし、不都合があるとすぐに機嫌が悪くなっていました、わたくし、短気で自己中だったんです。
今やおじいおばあのペースに任せて、多少予定がずれても全然気にしなくなっている自分に気が付きました。
予定の組み方もおおざっぱ。
おおきくなったなぁ~わたし。
ということで、炭焼き修行は続編へ
おたのしみに!