まちづくり通信vol.1にも記載しましたが、まちづくりは、“思い出が集積できる場所づくり”で、ここでいう“場所”とは、空間的な場所に限定されず、コミュニティとしての“居場所”も含めた意味として使っています。
まちづくりの取り組みに大きいも小さいもありませんので、余裕のある人ができる範囲で形にしていく事が大事だと思っています。
そこで本題に入りますが、まちづくりにおいて「自己満足は悪なのか?」
私の意見は、「自己満足は悪ではない」です。
「なにかをやってみよう」という動機が生まれる背景には、「面白そう」「挑戦したい」といったその人の主観(他の人がどう思うかはわからないけど、自分はこう思うという考え)が根本にあることで、実現に向けた意欲が湧いてくるんだと思います。
一方で、客観性が低いと共感が生まれないといった問題が生じます。
しかし、その問題を解決するために、客観性を追求することで、他人からの評価を気にした行為になり、主観が失われるのであれば、少しつまらなさを感じます。
AIが得意とする客観的かつ論理的な「答え」は優秀かもしれませんが、なんとなく、つまらなさそうと思うのは私だけでしょうか?
寛容の精神
フランスの哲学者ヴォルテール
『私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る』
様々な人が自分の想いを表現して、共感する人(一緒に活動したいと思う人)に“居場所”をつくることで地域に多様性が生まれます。
その人が持っているエネルギーを表現できる場があること、地域にその寛容性があることが地域の魅力につながるんじゃないかと思います。
まちづくりにおいて“自己満足(他人からの評価を気にしない)”は悪なのでしょうか?